LILI EN FLORIDA

ママは日本人✕パパはキューバ人✕子供達はアメリカ人

高校時代に学んだことは男女格差と将来の学術的なトピック🏫



*ワードプレスのお題によるものです。


昨日、英語で投稿したので、追加文を入れつつ日本語で投稿します。日本のことについてなので、日本語で書いた方が伝わりやすいかな。私も日本語の方が、書きやすいです。英語の場合は、投稿前に一応AIでスペルや単語チェックをしていますが、自分が書いたものと変わっている時があります。間違いに気づいた時は、修正してますけど...(笑)


今回の内容ですが、読む人によって感じ方が違うと思います。実際に自分が経験したことを書いているのですが、私のいた環境がちょっと特殊だったのかもしれません。でも、今でも、日本では理系分野は女性が少ないと聞きますし、女性の上司の数もそんなに多くないと思います。


20年以上前、私は私立高校を卒業しました。私の卒業した学校は、元男子高。私が入学したのは、女子生徒の受け入れが始まって間もない頃でした。


入学した初日、私は3年間もこの学校で勉強するとは本当に思わなかったです。理由は、毎日(週末を除いて)男子生徒達と顔を合わせなければならなかったから。(それくらい男子生徒ばかり...こう書くと、私が男嫌いに思うかもしれませんが、そういう訳ではありません。私は異性愛者です) 学校には技術系コースがありましたが、男子生徒しか入れず。それ以外にも、女子トイレの数が少なかったり(大きな建物内に2つしかない)、女子生徒のための水泳の授業がなかったり(水泳の授業が無い理由が面白くて、 男子生徒が女子生徒を見るからだそう...笑)等々...。


1年生の時は数学が得意だったので、理系のクラスで勉強しました。でも、なかなか良い成績を取り続けることが出来ず、しかも化学が苦手。元素記号のテストは、何度か不合格になってます。2年生の時に、得意科目を数学から英語に変えました。理由は単純で、他の生徒達が英語が苦手だったから。ひとまず英語だけは、学校内でもトップクラスの成績を取っていました。他の科目は、まあ特に良かったわけでも悪かったわけでも無く。良い成績を取っていた女子生徒は、少なかったと思います。でも、他の学校にはもっと優秀な女子生徒達がいることは知っていましたし、高校の先生達(実際には学校側)も今後の女子生徒達の受け入れのために、知名度を上げたいと思ったらしく、私は結構良い環境で勉強することが出来ました。


英語を勉強しているうちに、海外に興味を持つようになりました。自分が合格出来るかどうか分かりませんでしたが、ひとまずAFS(アメリカン・フィールド・サービス)の国際交流プログラムに申し込むことに。よく分かりませんが、サマープログラムに参加可能な優秀な生徒だと思われたらしく、合格後はタイに留学しました(私は優秀でも特別でもありません。でも、一応応募者の中から、海外生活に適応出来る生徒達を選抜するとのこと)。高校生だった私は、タイで多くのことを学びました。


日本に戻ってからは、*庭師(造園業)になるか自衛隊に入るか、どちらかの道に行くことを決めていました。卒業後、すぐ働けるようなスキルを身につけたかったからです。木や花が好きだったし(シザーハンズの映画が大好きで、エドワードのように木を切ってみたくて)、自衛隊に入れば外国にも行けるかと...(高校生の考えることって、それくらいの程度です。笑)


*庭師を英語に訳すと、Landscaper、Landscape ArquitectやGardenerになります。でも、私は木や花について全体的なことを学びたかったので、英語ではArboristという単語を使っています。Arboristは樹木医や木の専門家のことですが、余り使わないかな...


元々大学進学は考えていなかったので、数ヶ月間は1日14時間ぐらい勉強しました。(大学受験するには、学力不足状態) 当時は大変でしたが、幼馴染が一緒の大学に進学しようと言ってくれたので、それを励みに頑張ることに。先生達がサポートしてくれたおかげで、校内で公立大学(とAFSプログラム)に合格した最初の女子学生になりました。数年後、教育実習生として戻りましたが、私が在籍していた頃より、もっと多くの女子生徒達がいました。


日本では、今でも男女の格差は続いています。


将来の学術的なトピック


10代の頃の私は内向的な性格では無く、今でも社交的な人間かも。高校生の頃は、学校内外に女友達も男友達もたくさんいました。少なくとも当時は、自分は普通の高校生だと思っていました。髪は明るい茶色に染めていましたし、ミニスカート(学校の制服を短い丈に変えた)にルーズソックスを履いていました。当時、そのファッションが人気で、若者達の間で大流行。でも、学校には厳しい校則がありました。だから、ヘアスプレーを持参して、一時的に使っていました。あと、校門でスカートの丈を長くして、ハイソックスに履き替えました。先生が立っていたので、学校内に入れなかったんです...バカなことをしていたと思いますが、ごく普通の高校生でしたから。


そういえば最近、中国の若い女性達の間で、日本の高校生の制服ファッションが流行っていることを聞きました。


1996年から2004年の日本の高校生ファッション、「ギャルファッション」とも言われた時代 ↓


以前、私は10代の頃に、人に言えるような恋愛話が無いと書きました。でも、16歳から17歳の間、いつも同じ男の子と過ごしていました。一応、教育者の立場から書くので、彼についての詳細はここで書きません。(でも、まあ普通に高校生らしく過ごしてたから...何が普通なのかよく分かりませんが。笑)


彼は同い年で、共通の友人を通じて知り会いました。出会った頃、彼は別の男子高の生徒で、両親が別居中ということもあって複雑な家庭環境にいました。そして、私は母親と複雑な関係(以前、少しだけあるブロガーさんのコメント欄に書いたことがあります)。彼はギターを弾くのが好きで、私はピアノを弾くのが好き。似たもの同士だったので、色々なところへ一緒に出かけました。


ある日、彼は高校を中退。理由は、学校内で他の男子生徒とケンカをしたからという退学処分です。私は、その理由を信じませんでしたけど。というのも、彼は優しくて穏やかな性格でしたから。高校中退後、彼は仕事を始めて、男友達とバンドを結成。私は彼のライブにも行きましたし、彼や彼の友人達とも一緒に遊びました。バンドマンになってからも、彼の行動は全然変わらず。


でも、母が私のことを心配し始め、高校の先生達に言いました。私は高校生として、楽しく過ごしたかっただけなのですが。母も高校の先生達も、彼に対して高校退学=悪い子的な固定概念を持っていました。


どうしてそんな風に思うのか、私には理解出来なかったです。彼は問題児では無かったので(少なくとも、私はそう思っていました)。私は彼の家庭の事情を知っていましたけど、母や先生達は知りませんでした。彼について何か言われても、私達は会い続けました。


そのうち、少しずつ私は勉強に追われる日々に。(おそらく遊んでるから、私は勉強することになったのかと...)。彼に会いたくても時間が無くなっていきました...。


とまあこんな感じで、私の過去は全然ロマンチックな話では無いんですが、その後、高校生の時に抱いた疑問について考えるようになりました。


〇 高校生活は、私の人生にどのような影響を与えたのか?


〇 家族の問題や両親の不仲が、子供の行動にどのように関係してくるのか?


〇 高校を中退することが、どうして悪いことなのか?


〇 思春期の子供達の成長にとって、最も大切なことは何だろうか?


誰にでも過去があります。多くの人達が、自身の経験から何かを学ぶと思っています。



誰にでも過去があります。多くの人達が、自身の経験から何かを学ぶと思っています。